住職挨拶

地域における「霊鷲山」として
仏法を伝え、広める寺として

平成二十五年より本堂・客殿新築工事を進めて参りましたが、檀信徒の皆様をはじめ、多くの縁ある方々のご支援の下、平成三十年六月、無事完成し、大施食会法会には入仏の儀を済ませることができました。誠にありがたく深く感謝申し上げます。

本堂建築にあたり、様々な条件をクリヤーしなければなりませんでしたが、特に高さ制限(一〇メートル)のため禅宗様式にすることができませんでした。従って奈良の国宝霊山寺(りょうせんじ)の本堂をモデルに設計変更がされました。この霊山寺は東大寺大仏開眼供養の導師を勤めたインド僧が命名した寺であります。お釈迦様が多くの弟子たちに説法された地、霊鷲山(りょうじゅせん)の姿、鷲が羽を広げる姿に似ていることから命名されたようです。このような縁を踏まえると当寺も地域における「霊鷲山」としての姿を求めて行くべきと考えます。また、本堂の大間正面に「拈華微笑」の話をテーマにした彫刻欄間を掲げることができました。お釈迦様が弟子摩訶迦葉尊者にお悟りの心を伝える場面が描かれております。この話の場面も「霊鷲山」であります。なお、この欄間製作には大本山永平寺さまにご協力していただき、御仏殿の欄間を参考にさせていただきました。誠に有り難いご縁をいただき深く感謝する次第であります。お釈迦様の教え、道元禅師様の教え、その教えを正しくしっかりと伝える、守っていくことができる地域のお寺をめざして精進することが興教寺の務めと考えます。

建築にあたり、曹洞宗の永平寺と総持寺の御紋、即ち両山紋を屋根の棟瓦に掲げました。また鬼瓦には、新しくデザインした当山の寺紋を付けることできました。古代、お釈迦様の仏像はお釈迦様の教えによって製作が禁止されていました。従って人々はお釈迦様を菩提樹や車輪の形で表現していました。古代仏教美術の中から古いインドの遺跡より出土したレリーフを元に興教寺の寺紋をデザインしました。

来月から年号が令和に変わる折、様々な法縁をいただき、それにしたがい興教寺は新たな姿において、新たな役目を果たすべく再スタートします。しかしながらそれは、お釈迦様の教えとは何か、道元禅師様の教えとは何か、その教えの原点からのスタートにならなければならないと思います。お釈迦様の樹下の坐禅、道元禅師様の只管打坐、この教えを原点に興教寺の姿を求めていきたいと思います。今後とも宜しくお願い申し上げます。

平成三十一年四月
興教寺二十五世 徹應昭雄 合掌